清廉潔白でない人を説教しても問題は解決しないー大西連×柏木ハルコ『すぐそばにある「貧困」』刊行記念対談

 

すぐそばにある「貧困」の刊行を記念した、貧困問題に取り組むお二人の対談。

  • 大西連氏ー日本国内の貧困問題に取り組む、認定特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい理事長。すぐそばにある「貧困」 作者
  • 柏木ハルコ氏ー「健康で文化的な最低限度の生活」の作者

 

実際に役所の申請に同行したら、窓口の人は冷たいし、ぼくのような同行者の存在も疎まれる。しかも、すぐにアパートに入れるわけじゃない。まずはシェルターに入れられて、がんばって仕事を探したり、いろいろな環境を整えると、より環境の良い施設やアパートに入居できる……

一般的におこなわれている運用だとすぐさまアパートにはなかなか入れない。決していい環境だといえないシェルターや施設に耐えられなくて、せっかく支援につながったのに、路上に戻ってしまう人が沢山いる。

生活保護の窓口対応がいろいろと問題を抱えている事は、うっすらとだが聞いたことがある。しかし、路上生活から脱出するまでには一度シェアルターや施設に入らなければならないとは知らなかった。

 

私たちが「ここで暮らしたくないな」と一般の感覚で感じたら、当たり前ですけど、ホームレスの人も嫌なんですよ。

弱者に対して、我慢を強いてしまう感情は正直ある。ただ、相手も人である……

 

たとえば、施設をしょっちゅう脱走する人っていますよね。「そんな脱走なんかしていたら、役所の信用が下がるから、いつまでたってもアパートに入れないよ」って傍から見ていると言いたくなるじゃないですか。アパート入居の能力が無いと思われてしまいますからね。

(中略)

「なんで出たの」って聞くとだいたい「合わなかった」って言うんです。そこで、「みんな合わないけど我慢してるよ」と叱っても意味が無い。

「なにか嫌なことあったの?」「同部屋の人と上手くいかなかったの?」と角度を変えて聞いてみると、お金せびられたとか、たかられたとか。その人自身に発達障害があり周りと衝突しやすかったり。「出てけ」と言われていないのに「出てけ」って声が聞こえていて、統合失調症の症状だったとか、そういう問題が出てくることもあります。

やっぱり、相談されると立場が上になってしまいますよね。説教したくなる。同級生が会社やめても「なんでやめたの」「我慢できなかったの?」「そんな上司文句言えばいいじゃん」とか、励ましているようで、でもそれは上からの指導なんですよね。それって対等じゃない。

自分ができている事を他人ができないこともある。逆に他人ができていることを自分ができない事もある。ただ違うだけなのに立場をかさにきて説教をする。歳を重ねると自然にしてしまっているかもしれない。

 

生活保護制度は努力の成果、結果や過程は問わず、単純に一定程度困っていたら必要な支援を支給する制度です。『健康で文化的最低限度の生活』の中でも、昔は年収2000万円なのに、生活保護を受けている人がでてきます。「なんで貯金してなかったの」っていう視点は入らない。いま困っているから保護を受けられるんです。そういった、感情や価値観、情緒的な判断が入らない、ということは実はすごく重要なんだと思います。

不正受給なども確かに存在する問題なのだろう。しかし、それを糾弾して溜飲をさげる事が正しいのだろうか。目を向けるべきは、貧困という現実に存在する闇なのではないだろうか。

一寸先は闇かもしれない。いつなんどき働けなくなってしまうかもしれない。貧困は対岸の火事ではなく、すぐそばにある闇なのかもしれない。

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すぐそばにある「貧困」

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